Wednesday, July 21, 2010

ボランティア しゅーぞー レポート


こんにちは。
世界放浪中にPRAfricaさんに立ち寄りました、しゅーぞーと申します。
以前からNGOの一員となりお手伝いする。っというのが、一つの目標となっていました。
うまく書けるかわかりませんが体験記を書きます。

ウガンダ北部のキトゥグム。ここは5、6年前まで内戦があったところだと聞いていました。
町の雰囲気だけでは当時の記憶を読み返す印象は受けなかったのですが、初日に泊ってた宿の若い従業員に「俺、前まで少年兵(15歳以下で拉致されて兵士にさせられる)だったんだ」と、言われた時は、返す言葉がありませんでした。
キトゥグムは、小さな町で3日もいたら飽きるかもっと思っていましたが、三週間いても飽きず、毎日が新しい発見の毎日でした。
初めて見るUNと車に貼れたユニセフの車、英国最大NGOのOxfam、アメリカのUSAID。
そして、国境なき医師団の事務所などと、聞いことはあるけど本の中の世界の話しだと思っていた僕が今それらを目の前にしてることに不思議な気持ちでした。
現地のウガンダ人はとても気さくで、すぐに友達になり、「なぜ昨日この店に来なかったんだ?」っと言われるほどです。

仕事内容は図書館業務。
図書館の利用者が思ってたより多く、子どもから大人まで幅広く、何時間にも渡って本を読んでる人や、毎日来る人もいて驚きました。
子ども達は読書のあいまのお絵きを楽しみに来ていて、紙に絵を書くこと・色を使うこと。
それらのことから紙がいかに重要なものか知りました。
そんな子ども達が書く絵には兵士や軍と思われるペリコプターも書かれてることから内戦の面影もまだ残ってるんだなっと思いました。
図書館は静かにするところ。このことが利用する人のほとんどの人が知っていて、なんでだろうっと思ってたのですが、長期ボランティアさん2人が図書館とは何をするところかと必死に教えたみたいでした。
当時の苦労話しを聞いていると、日本人には到底理解できない出来事が起こっていたみたいです。
図書館を利用してくれる方からの要望に、"新聞紙を読みたい"というものがありました。
この町に住む人に取って貴重な情報源の新聞。新聞紙の値段は彼らの一日の給料の半分ほど。
なるべく要望には答えたいものの寄付で図書館で賄われているため、毎日というのはできませんでした。
今思い返すと、この要望を実現する仕組みを作りをもっと考えておけばよかったと思いました。
僕がボランティアさせていただいてる際、チャーリーという地元のボランティアさんが頻度高く 図書館に来てくれ手伝ってくれていました。
初めてチャーリーと会った際、両手で握手された事がとても印象に残っており、二回目からは片手だけで、心から歓迎してくれたんだなっと嬉しくなりました。
チャーリーには子どもの対応などでわかないことがあったり、僕が迷ってるときにはときは自ら手伝ってくれ、とても助かったのと同時に、こういうボランティア精神のある人もいるんだ。っと自分の偏見を反省しました。
長期ボランティアのトモさんはウガンダ歴2年の向上心のあるパワフルな女性。
「私はウガンダ人だ」とウガンダ人に主張するほど。
以前は違う場所でボランティアをしてたということで、毎日のようにウガンダのことをたくさん教えていただきました。
滞在中は、ホームステイをさせていただき、ウガンダの風習を肌から味わうことができました。
男性優位の社会、女性は働くもの、ホームステイしていた家は、車を所有していたのですが(キトゥグムの町では車の所有者はほとんどいない)、夫はあまり家にいなく、夜もどこに行ってるのかわからない状態で、子どもの世話、家のことは全て女性がしていました。
家には水が通ってないため、ホームステイさせていただいてる代わりに、毎朝井戸汲みのお手伝いをしていたのですが、これが想像以上に疲れる仕事。
みんなが見てる前だから顔に疲れを出さないようにがんばってたのですが、井戸汲みがあれほど疲れる仕事とは思いもしませんでした。
僕の汲み方で20Lのポリタンクを一杯にするのに110~120回ほど持ち棒を上下に動かしますが、だいたい50回くらい動かした時から腕と肩に疲れが現れてきて、そのうち気力との勝負。
初めてやった時は2個のポリタンクだけで息が上がりました。
それを女性達は一人で数個から十数個のタンクに水を汲んでいくものだから拍子抜けでした。
ただ、水を汲んだものはいいものの、今度は家に持って帰らなくてはいけません。
幸い家から30mほどの距離なので疲れても持って帰れるものの、場所によっては、30分以上かけて持って帰らないといけないところも存在するし、全ての井戸が飲める水と限らない。
女性は頭の上にポリバケツを乗せ歩き、男性は自転車の後部座席などに3~4つのバケツを乗せて、自転車を押しながら家に帰る姿を幾度となくみました。
小さな子どもが1.5リットルの容器を運んでる姿は強く印象に残っています。
これらの井戸汲みの仕事は、男性も手伝っている姿もありますが基本は女性と子どもの仕事みたいでした。(独身男性は自分の為に水汲みをする、が既婚男性はこの仕事を手伝いません トモ)

図書館の休みの日や、仕事終わりには、難民キャンプ、聾唖学校、町を散歩、郊外散策などに行きました。
町から少しバイクを走らすと、そこは一面が緑。
町では見かけることができない人達の生活をしてる姿を一部ですが見ることができたと思います。
難民キャンプでは、他の家と変わりない家の姿だったのですが、働いてる人がほとんどいない。いや仕事がない。収入源が道の横に並べられた小さな野菜マーケットだけで、他はない様子でした。
「おなかがボコっと膨れた栄養出張と思われる子ども」「おへそがボコっと飛び抜けて第二のおちんちんか?っと思ってしまう子ども」「子どもは素足で、服はぼろぼろ」問題を目の前にして、解決できるようなイメージが湧かなかったのが情けなかったです。
もしかしたら、援助ではなく、このままの状態でも良いのではないか?
時代がたとえ遅れていたとしても間違えた援助をするより今のままのほうがよいのではないか?などと、頭をよぎりました。
代表の話しや、トモさんの話をお聞きしてウガンダという国の悲惨さ、国を変えることができない国システムという、架空の世界のような話があるのだと、日本の国システムって普通と思ってたけど、かなり進んでるんだなっと実感しました。
三週間の短いボランティアでしたが、自分のレベルが一段、二段と上がったと思います。
僕はまだ25歳ですが、それでも地域の人に対して少しながらも貢献できるのだから、町を歩いてる時にしばしば変な感じに捉われていました。

しゅーぞー