Thursday, April 7, 2011

ボランティア ゆうた リポート

僕は正直、最初からここPRAfricaを目的としていたわけではありませんでした。
そもそもボランティアするつもりも、、、という気持ちでした。
ここへ来る前、すでに世界各地と旅する中で、旅人のうわさなどでウガンダボランティア情報をいろいろ聞いていて、最終的にカンパラの情報ノートに載っていた情報で決めました。

紛争の名残とその中での「図書館」というあり方でのボランティア、それが現地で実際役立っていると聞き、それを見るとともに、その土地や人々を感じてみたかった。
日程の都合上1週間しかいれませんでしたが、その中で普段の旅では得られないことも多くそれをまとめてみます。

初日に与えられた仕事は倉庫の整理でした。
ウガンダ政府の役人の倉庫を整理するという単純肉体労働に仕事はじめに何か得られるという期待はまったくなかったのを覚えています。
アフリカ人は管理しません。
だから、彼らの倉庫は虫とホコリだらけ。そして無秩序にダンボールが山積みになっている。
早く終わらせたいと頑張るのですが、この倉庫にアフリカ貧困の実態が隠されていることが作業の中でわかってきました。ちょっと軽いものを動かすと筆記用具が大量に出てくる。
ダンボールを何個か動かすと、援助されたものがたくさん。
教科書をはじめ、授業に使う教材、そのほか印刷機が出てきたり、政府の書類が出てきたり、、、
大量のまだまだ使える物資が。。。 衝撃でした。
こんなに物がこの田舎の倉庫に埋もれているのかと。アフリカに行った多くの人がアフリカ人の怠惰、政府の無能を唱えます。

この倉庫はそれを象徴しているようでした。ほんの畳三畳もない空間に物がホコリをかぶって埋もれている。
日本政府のODA、心ある方々の募金、NGOの努力は、最後、政府の役人が分配するのを「めんどう」だからこの倉庫に埋まるのです。
多くの子供が教科書や筆記用具なしで暮らす背景を少しだけ見れた気がしました。
もちろんこれは役人の腐敗を示す一つの例に過ぎませんが、NGOとしての活動の中での役人との関わりというものを聞くと、結局はそういったある種「常識」の違いが貧困を生むのかと思います。


メインの図書館をまとめてみたいと思います。面倒を見ていただいた、宮本さん、ともさん、まさよさんと意見は一致して、誰もが言うだろうことですが、まずこの図書館はこの地においてすごく役立っている、ということですね。

来る前の予想を超えて大きくて充実した図書館、そして大人は静かに勉強し、土曜になれば子供が入れないほどにやってくる。それも本を読みに。
入場制限をかけられてもなんとか入ろうとする子供たち、朝早く来てずっと勉強する大人たちの姿には、多くのアフリカの国で見られるような昼間から何もせずに座っている怠惰なアフリカ人は見られませんでした。

毎日70人もの人がやってきて、勉強する、子供たちには工作やお絵かきをする場としての機能もある、そんな図書館が素晴らしい援助の形だと感じました。
アフリカの人はルールを守らないし、聞くところだと本の盗難も多いとのこと。でも、この図書館はそういった、基本的なルールを守るということを教える場としても機能しているとも思いました。
図書館は本が少ないということはなく分野ごとに分かりやすくうまくまとめられています。
教育とか科学とか哲学とか。
そして、その機能。子供たちにとっては楽しみとしてここに来ることができるし、そこで新しい体験ができ、何かを学ぶことができる。物資が不足しているのとうまく分配されていない中で、ここは学校を越えた教育機関にまでなりうるし、その管理方法とその意味をアフリカ地方政府が見出だせば、ここはただの図書館を越えたもっと大きいものになるんじゃないかって。そんな風に思える場所。

子供たちは自分の絵や工作を笑顔で見せあって、大人たちは朝から閉館まで真剣に勉強する。それが紛争が終わって2年の風景なんだなって。
土曜になっていっぱい遊びにくる子供たち。受付としては英語が話せない彼らにいろいろ教えるのは大変だったけど、きっとここに来た意味がある、何かを学んで帰れる、そんな場所だなって。

ボランティアとしての受け付けはアフリカ人の図書館利用者との交流。当たり前にできそうなことがアフリカ人との文化の違い、国民性の違いで難しかったりしたけど、ここに来る利用者と少しでも全員と関わることができてよかった。自分は入場カードの管理と初めて来た人に図書館の使い方を教える、また彼らの荷物管理をするというものでした。最初は簡単なことでもアフリカ人が分かってくれないことも多くて大変でしたが、なれると楽しめます。


一度行かせていただいた、農村の学校への訪問。農村へ本を配りに行くというものです。
途中ではウガンダの紛争キャンプやアフリカ奥地の光景がたくさん見れました。
本とともに最初の学校にはビスケットを配ったり、授業をしたりして、2つ目の学校には本を渡すというものでした。
どこか援助の形を考えさせる、そんなものでした。同時に本当にアフリカ人が管理しているところにアポなしで行くことができたので、学校の実態というかそんなものが見えたなって思います。

1回の援助、継続性のない援助でなにが変わるっていう無力さと一方で本を通して行う長期的な援助、また学校の運営側への学校の維持などが大切なのかと思うきっかけとなります。
アフリカは物がないと多くの人がとらえるアフリカ、しかし本当は、ある物に対して有効利用できるか、そして今を生き、今しか見えていない人たちにどのように先を見させるか、援助のキーワードとはそこにあるのではと思うきっかけです。本当の援助って教育、それも子供だけでなくて地方政府から変えうる教育、この本を通した援助の潜在性、うまく管理しているところから本をいただけたりする、学校の運営力によって援助を変える。そうしたことが政府の介入ではなくNGOの身分としてできる、その意義とPRAfricaのウガンダ北部全体への可能性を感じました。


キトゥグムの暮らし。
他のボランティアの方と、現地の元国連運転手の家でホームステイさせていただきました。
一つの村を訪れるのではなく住むことで1週間だけでも暮らせたことは自分の中で財産です。
小さいけど平和ができた活気に満ちるこの村での暮らしはバックパッカーしていた安宿よりも大好きでした。

ともさんに連れて行ってもらった泥みたいな地ビールとかバーとか、思い出です。
滞在中に2年前までの紛争の話をよく聞けたし、また自然と赤土に囲まれたこの小さな村がどこが愛着を残します。
シャワーもなく、水をかけるだけだったけど、そんなアフリカの暮らしはいいものでした。


ウガンダで2つ目のボランティア先としてのキトゥグム、毎日が刺激的でした、そしてNGOの可能性っていうのを本当に強く感じました。
正直、小規模NGOより政府や大きい団体のほうが国際援助に大きな成果が与えられると考えていましたが、ここにきて変わりました、小さいNGOが地域という枠から影響を広げやがて大きな影響を残していく。これがPRAfricaでした。

キトゥグムは平和になって、援助から取り残される中で、この図書館が政府に動かされても続いてほしい、そう思うばかりです。

そういえばNGOをつつむ政府との対応の難しさも感じました。
NGOの捉えられ方にしても先進国での認識と途上国での認識の差異。途上国で向けられるマイナスなNGOへのイメージ、それは本当に意味のある活動を通していく中で分かってもらうしかないのかなとも思う。


今回は1週間で終わってしまいましたが、また機会があれば長期でボランティアしたいと思うばかりです。
1週間大変お世話になりました。
本当に貴重な体験でした、なかなかうまくまとめられませんでしたが、ここにはいつかもう一度お世話になりたいと思っています。





ホームステイ先の大家族の爺ちゃん
ポリオで両足が不自由
彼の職業はタイヤから作るサンダル屋&靴修理屋
この日はヤギをさばいてくれた    ―トモ

Thursday, February 24, 2011

短期ボランティア クミレポート

はじめまして!クミです!ちなみにKUMIというのはウガンダ南で使われるルガンダ語で〝10〟という意味でKUMIという県もあるんです!!運命感じちゃます、それにマユゲ(MAYUGE)という県もあるんです笑
キトュグム生活は残り1っ週間!少し焦りというか、なぜか日本にいる時よりも時間が過ぎるのが早くてもう2月が終わるのか…という感じです。 図書館でのボラは現地のやんちゃな子供と日々格闘中 !です。
そしてトモさん!アカネさん!に毎回毎回刺激を受けいる私です。
こちら本当に暑いです…日焼けが気になるこの頃です。

Wednesday, February 23, 2011

大学生ボランティア クミちゃん

現在、アフリカ大好き大学生のクミちゃんが1ヵ月間ボランティアに来てくれています。
スタッフ5人(日本人3+現地人2 全員女子!)で賑やか&華やか!!

以前の図書館よりもスペースは小さくなってしまいましたが、それでも毎日40人程のユーザーが来ます。(現在登録者数3600超!)
2月から新学期開始。でも学費が払えず、学校から追い返され、毎日のように図書館へ来る子供たちも。
この子達の目に、鮮やかな絵本はどのように映っているんだろう。


先週末、大統領選挙が、また先日県知事選挙が無事終わりました。
懸念されていた暴動などは一切なく、キトゥグムはいつも通り穏やかです。
クミちゃんとキトゥグムタウンより5キロ離れた村へ(自転車で!)散策しに行ったときに見つけた学校。
「女の子にも教育を」
日本では当たり前のことが、こっちでは当たり前ではない現実。

アカネ

Tuesday, February 8, 2011

新図書館&新スタッフ


図書館用にガバメントから借りていた建物を他NGOが戦争記念館に改築するとのことで、
隣の小さなこじんまりした建物に引っ越した。


引っ越す前にやらねばならなかったことは
掃除、シロアリ駆除!(半径50m以内にあるアリ塚のクィーンを殺す!)
窓ガラスの修理、トタン一枚の屋根では熱がこもりサウナ状態になるので天井に竹ざおを張り、パピルスのマットを張る。
そして、前オーナーが半年電気代未払いだったため電気がきていない どうにか支払ってもらうように週に一度つっつく。
本日やーーーっと電気がきました。これで停電ではない日は扇風機が使える(涙)




念願だった 現地のスタッフも雇いはじめた。
図書館を良く知るユーザー達からの推薦の人たちを面接し、現在2名の女の子を仮採用中。


スタッフ名:アチョラ

家から図書館まで40分歩いて出勤。 最初の2日は少し遅刻、でも今はKeep TIME!
中学校を出てから、仕事はなく、畑仕事と家事、日曜の教会でゴスペルを歌い、子供達の世話をしていた。
ここで得たお金で看護学校に行き、看護婦になりたい。

Saturday, January 22, 2011

図書館&奥地のOkutiへ ケイコリポート


PRAfricaが活動しているキトゥグムへ2日間を使ってたどり着き、ママウガンダ事、宮本はつえさんにゲストハウスでお会いした時は、正直ほっとしました。

約20カ国に住んだり、訪問したり、貧困のアジアへのボランティも経験がありましたが、隣のタンザニアで誘拐が発生していると聞き、初めてのアフリカに不安がいっぱいだった私でしたが、彼女の顔を見て、思わず嬉しくて彼女を抱きしめた私です。
それから、メンバーのトモさん、あかねちゃん、そしてボランティア参加をしていたま~ちゃんにお会いして、翌日は図書館へ。

滞在期間が1週間と短い期間で、PRAfricaの活動をしてどれだけのものを見たり吸収できるかが、私の自分に課せた目標でしたが、彼女たちの活動の中からウガンダ・キトゥグムの抱えている社会問題も感じ取ることができました。

図書館へ来た子供たちは、本を読んだり自分で勉強したりしたのち、スタッフが用意した工作・この日は王冠に絵を描き色をつけ頭にかぶれるような冠を作りました。
図書館ができてからまだ1年ちょっとだそうですが、地域のこどもや大人にもたくさん利用されていました。地域に根付いたこの活動の意味は、やはり教育の重要性や公共性を子供たちに伝えて行く機関だと思いました。
本を盗む子や自分だけが本を欲しいという価値観を変えて、共有するという価値観を与える事の重要性を感じました。トモさんやあかねちゃんは、しっかり伝えるために、たくさんある問題に立ち向かっていました。

トモさんやあかねちゃんの話から、ウガンダは一夫多妻なので、奥さんが何人も持てると言うこと。
彼女たちからの情報では、やっぱり奥さんたちは嫉妬も不快感も当たり前に持っているそうです。女性差別もすごくて、私が建築の仕事をしていると言うと驚いていました。女は家で子供の世話と家事をこなしていればいいと言う社会的価値観が大手を振っています。夫の暴力当たり前のように蔓延っているとのこと。女性は暴君にも耐えなくちゃいけないなんて!
そう言う社会の中で、はつえさん、ともさん、あかねちゃんは戦っています。


翌日は、キトゥグムから車で2時間半ぐらいの奥地のOkuti(オクティ)・小さな村へ。
そこで、子供たちに絵を描く事を皆で教えました。

子供たちが次から次へ現れ一人ひとりに絵を描く楽しさを味わってもらいました。
絵を描くことは、自己表現の一つなので、子供達の心の中にあるものを思う存分表現する機会を持つ事は、子供たちの心を豊かにすると思います。
夢中で静かに集中して描いている子供たちを見れば、その重要性が納得できます。
こう言う機会を何度も経験し、自己表現の才能に花を咲かせる子も将来はいてくれたらと思いました。
また、親に殴られる子や心のケアが必要な子もたくさんいると思うので、こう言う時間が、きっと子供たちに心の安らぎを与えていると思うと大切な仕事だとも感じました。
私たち、みんな子供達と向かい合うことで、触れ合うことから充実した時間をいただいていると感じました。

絵が描き終わるとトモさんが子供たちの顔にフェイスペイントを始めました。私もたくさんのこども達の顔にペイントしました。
恥ずかしそうに、でも静かに自分の番を待っている子供たち。
描いてあげてから写真を撮り、デジカメの画像を見せてあげると、とっても嬉しそうでした。

この村はちょっと小さくて、絵を描いた後は、トモさん先導でホークダンス・マイムマイムと「ロンドン橋落ちた」をして皆で遊びました。大人も女性たちも交じって、みんな楽しそうに声をだして笑いながらしていました。

何度も訪れ、こう言う経験を重ねる事で、子供への教育がいかに必要かを伝えて行くことができると思います。
この活動の大きな意味は、子供の心の解放と教育の大切さを伝えることや女性差別をなくす事にあるんだと私は感じました。


夕方から、トモさんに誘われて、地域の男性たちが集まって手作りの酒を飲んでいるところに行きました。
お腹を壊す人もいると聞いて、ちょっとびびりましたが、トモさんとあかねちゃん、まーちゃんはここでも一夫多妻性の問題点について男性たちに、問題提起し、ディスカッションを展開していました。
きっと彼女たちはこういい機会を大切に感じて、またこう言う地道な行動を通して無意識(?)に意識改革をする働きかけをしているんだ実感しました。
私は、男性だけの問題ではなくて女性も一緒に変わらないと差別やこういう意識改革はできないと思いながら、またこう言う社会の中で、それを伝える難しさを痛感しながら話を聞いていました。


翌日は、また図書館のお手伝いをして、その翌日は、またOkuti(オクティ)のもうちょっと奥へ。
滞在中に2回も屋外教室へいけることは珍しいとのこと。
前回行った村で、もっと奥地に100人位の子供達がいるとの事を聞いて、来た村です。
5,6歳くらいと思われる子が、もっと小さな子をおんぶし、背中で泣き出す子供を体をゆすって母親のようにあやす、その姿は、何を言ってあげたらいいのかさえ、分らなかったです。
英語を理解できる子が数少なく、通じない子が大半でした。
お姉ちゃんが絵を描く事に夢中になると背中で、泣き出す子が数人いました。


PRAfiricaの活動は、子供達に一瞬の光を与え、違う世界・人種(私たち日本人)がいることを目の前で見せてあげる事ができます。

見たことない東洋人に、小さな子は怖がって泣き出し子もいましたが、フォークダンスをする頃には、泣き止んでいました。
一人の男の子は戦争の中で、誘拐され、両手を切られ、放置され、でも生き延びたそうです。
彼に筆を見せながら「絵を描きたい?」と聞くと「うん」と返事。彼の両腕の中に、筆を渡しました。
嬉しそうににこっと笑ってから、描き始めました。
夢中で絵を描く彼の絵には、いろいろな色が使われていました。
色があると言うことは、心に希望があるということ。・・・それを見て嬉しかったです。

こう言う経験を持っている子がたくさんいます。
町で見かけた女の子は、胸の皮が広範囲に剥がされたような傷が有りました。
過酷な経験の中を生き抜いても、「生きてるだけでいいよ」と言うこの男の子の未来が、どのようになるのか?・・・
ただ何も出来ない私は安らかな未来でありますようにと願うばかりでした。
人は生まれた以上、どう生き抜くか?どういう人間に自分を成長させられるか?が、問われていると思います。



未熟で、力のない私は、戸惑い、傷ついて、悲しみに陥り、時には怒り、裏切った人を受け入れられずに、 でも、絵に描いたような幸せはないんだから、悲しみを経験した人の方が、本当の優しさと得られるから良かったと思ってみたり、・・・
自分の人生の中でしか物を見れないことへの不安を抱えながらも生きている自分を見つめるために、いろんな人と出会い、いろんな事を見て、もっと本物の人になりたいと切に願い、傷ついてもいいから、純粋に生き続けたいと思うけど、この子の世界は、生きるためにすべてがあるということ。
カンボジアの少女達のように貧しいからといって親に性の奴隷になるために売られる少女達が生きている世界も、過酷で、人は人を殺し、子供達の手を切りこんなに残虐な事もできる事をいつも心の奥に留めたいと思います。
自分のできる事を、自分の責任として、返して行きたいと改めて思いました。
自分の事だけに夢中になっている人たちの先には、人のもの奪うことだと言う事を忘れないでいたいと思いました。
子供達からエネルギーを貰い、力を貰った私です。


30日の夜は、みんなでチップスを食べに行きました。
はつえさん、トモさん、あかねちゃん、彼女達が日本から遠く離れたウガンダで、生活し、子供達のために図書館を存続し、奥地の村へ行き、新しい経験を子供達に与えているという事実は、私に勇気を与えてくれました。
日本では考えられないような日々の問題に立ち向かいながらも、戦っている彼女達がいる!と言うこと、それだけで勇気を貰います。
今、私が日本で仕事をし、小さなボランティア活動を展開し、ちっぽけな自分を見つめ続けながら、生きていることに、意味を見出すのなら、私も戦い続けていく事だと、今新たに思います。


純粋に生きる続けること、中途半端な妥協はせずに。
この夜、ビールでちょっと酔った私の「告白タイム」な~~んて言う提案で、皆で自分の事を告白しあいました。
私は日本では、時々宇宙人・自由人なんて言われますが、彼女達も日本の価値観では納まりきれないちょっと変わった人たちなんだと思うと認識し合いましたが、
これからも中途半端な妥協を自分にせず、きっと彼女たちもそれぞれの人生を生き抜いていくんだと感じました。

図書館が終わった後、地元の踊りをトモさんのお勧めのお陰で、見ることが出来ました。
ホイッスルとドラムと女性の声が鳴り響き、汗と陶酔が、人間の本能のルーツを見るようでした。エネルギーと生きる力に溢れていました。
ダンスの意味は求愛だったり、喜びだそうです。

 

トモさんが、「啓子さんに見せたい」と言ってくれた通り、その陶酔して踊る人たちを見ながら、見る機会があったこと、良かったと思いました。

彼女が提案してくれなかったらボランティア活動だけで終わってしまい、偏ったアフリカを見るだけになっていたと思います。
だから本当に感謝です。
たっぷりアフリカを味わいましたから。


翌日は、タンザニアへ行くまーちゃんとキトゥグムから首都のカンパラまで、バスで8時間くらいかけて帰りました。
カンパラで、アフリカ最後の夜だからと、ビクトリアゲストハウスの近く中華レストランまで、ボタボタ(バイク)で行きました。

まーちゃんがいたからバスでカンパラまで帰ってこれた怖がりで意気地なしの私です。
まーちゃんは23歳。
4月から中学校の教師になります。
教職に付く前に、こう言う経験をした先生は、きっと子供達に生の言葉を伝えられると思います。無事に帰ってくることを祈りながら、
ビクトリアハウスで分かれた私達です。
きっと彼女は素敵な先生になると思います。

こうやって終わったボランティア参加、今私にたくさんの問題提起をしています。
これからも自分に何ができるかと問い続けると思います。

 

Tuesday, January 18, 2011

12月30日 フィールドワーク



オクティという村のさらに奥地へ
今学校はクリスマスホリディ中のため、学校訪問の下準備として村の子供達を訪問。
お絵かき教室とフェイスペインティング&大人も子供も輪になってみんなで踊って遊んだ。




彼の名は『サバイバー』
LRA=神の抵抗軍により両腕をもがれ、首には深い傷が残る。


トモ

Wednesday, January 12, 2011

謹賀新年 fromウガンダ




あけましておめでとうございます。
ウガンダで正月を3回も迎えてしまい、こたつミカン、こたつに松前漬に冷えたビールが恋しいトモです。
いやモチもラーメンも食いたい。ピザもプッチンプリンも!

3ヵ月一緒に働いてくれたまー先生もタンザニアに寄ってから日本に帰国。
クリスマスから正月にかけて日本から来てくれたケイコさんも嵐のように去って行った。
楽しいイベントが終わり、なんだか人恋しくなっています。
そしてキトゥグムは超ドライシーズン突入です。
喉が痛い。夜部屋干しにしたバスタオルが朝乾いている!!!

トモ