Saturday, January 22, 2011

図書館&奥地のOkutiへ ケイコリポート


PRAfricaが活動しているキトゥグムへ2日間を使ってたどり着き、ママウガンダ事、宮本はつえさんにゲストハウスでお会いした時は、正直ほっとしました。

約20カ国に住んだり、訪問したり、貧困のアジアへのボランティも経験がありましたが、隣のタンザニアで誘拐が発生していると聞き、初めてのアフリカに不安がいっぱいだった私でしたが、彼女の顔を見て、思わず嬉しくて彼女を抱きしめた私です。
それから、メンバーのトモさん、あかねちゃん、そしてボランティア参加をしていたま~ちゃんにお会いして、翌日は図書館へ。

滞在期間が1週間と短い期間で、PRAfricaの活動をしてどれだけのものを見たり吸収できるかが、私の自分に課せた目標でしたが、彼女たちの活動の中からウガンダ・キトゥグムの抱えている社会問題も感じ取ることができました。

図書館へ来た子供たちは、本を読んだり自分で勉強したりしたのち、スタッフが用意した工作・この日は王冠に絵を描き色をつけ頭にかぶれるような冠を作りました。
図書館ができてからまだ1年ちょっとだそうですが、地域のこどもや大人にもたくさん利用されていました。地域に根付いたこの活動の意味は、やはり教育の重要性や公共性を子供たちに伝えて行く機関だと思いました。
本を盗む子や自分だけが本を欲しいという価値観を変えて、共有するという価値観を与える事の重要性を感じました。トモさんやあかねちゃんは、しっかり伝えるために、たくさんある問題に立ち向かっていました。

トモさんやあかねちゃんの話から、ウガンダは一夫多妻なので、奥さんが何人も持てると言うこと。
彼女たちからの情報では、やっぱり奥さんたちは嫉妬も不快感も当たり前に持っているそうです。女性差別もすごくて、私が建築の仕事をしていると言うと驚いていました。女は家で子供の世話と家事をこなしていればいいと言う社会的価値観が大手を振っています。夫の暴力当たり前のように蔓延っているとのこと。女性は暴君にも耐えなくちゃいけないなんて!
そう言う社会の中で、はつえさん、ともさん、あかねちゃんは戦っています。


翌日は、キトゥグムから車で2時間半ぐらいの奥地のOkuti(オクティ)・小さな村へ。
そこで、子供たちに絵を描く事を皆で教えました。

子供たちが次から次へ現れ一人ひとりに絵を描く楽しさを味わってもらいました。
絵を描くことは、自己表現の一つなので、子供達の心の中にあるものを思う存分表現する機会を持つ事は、子供たちの心を豊かにすると思います。
夢中で静かに集中して描いている子供たちを見れば、その重要性が納得できます。
こう言う機会を何度も経験し、自己表現の才能に花を咲かせる子も将来はいてくれたらと思いました。
また、親に殴られる子や心のケアが必要な子もたくさんいると思うので、こう言う時間が、きっと子供たちに心の安らぎを与えていると思うと大切な仕事だとも感じました。
私たち、みんな子供達と向かい合うことで、触れ合うことから充実した時間をいただいていると感じました。

絵が描き終わるとトモさんが子供たちの顔にフェイスペイントを始めました。私もたくさんのこども達の顔にペイントしました。
恥ずかしそうに、でも静かに自分の番を待っている子供たち。
描いてあげてから写真を撮り、デジカメの画像を見せてあげると、とっても嬉しそうでした。

この村はちょっと小さくて、絵を描いた後は、トモさん先導でホークダンス・マイムマイムと「ロンドン橋落ちた」をして皆で遊びました。大人も女性たちも交じって、みんな楽しそうに声をだして笑いながらしていました。

何度も訪れ、こう言う経験を重ねる事で、子供への教育がいかに必要かを伝えて行くことができると思います。
この活動の大きな意味は、子供の心の解放と教育の大切さを伝えることや女性差別をなくす事にあるんだと私は感じました。


夕方から、トモさんに誘われて、地域の男性たちが集まって手作りの酒を飲んでいるところに行きました。
お腹を壊す人もいると聞いて、ちょっとびびりましたが、トモさんとあかねちゃん、まーちゃんはここでも一夫多妻性の問題点について男性たちに、問題提起し、ディスカッションを展開していました。
きっと彼女たちはこういい機会を大切に感じて、またこう言う地道な行動を通して無意識(?)に意識改革をする働きかけをしているんだ実感しました。
私は、男性だけの問題ではなくて女性も一緒に変わらないと差別やこういう意識改革はできないと思いながら、またこう言う社会の中で、それを伝える難しさを痛感しながら話を聞いていました。


翌日は、また図書館のお手伝いをして、その翌日は、またOkuti(オクティ)のもうちょっと奥へ。
滞在中に2回も屋外教室へいけることは珍しいとのこと。
前回行った村で、もっと奥地に100人位の子供達がいるとの事を聞いて、来た村です。
5,6歳くらいと思われる子が、もっと小さな子をおんぶし、背中で泣き出す子供を体をゆすって母親のようにあやす、その姿は、何を言ってあげたらいいのかさえ、分らなかったです。
英語を理解できる子が数少なく、通じない子が大半でした。
お姉ちゃんが絵を描く事に夢中になると背中で、泣き出す子が数人いました。


PRAfiricaの活動は、子供達に一瞬の光を与え、違う世界・人種(私たち日本人)がいることを目の前で見せてあげる事ができます。

見たことない東洋人に、小さな子は怖がって泣き出し子もいましたが、フォークダンスをする頃には、泣き止んでいました。
一人の男の子は戦争の中で、誘拐され、両手を切られ、放置され、でも生き延びたそうです。
彼に筆を見せながら「絵を描きたい?」と聞くと「うん」と返事。彼の両腕の中に、筆を渡しました。
嬉しそうににこっと笑ってから、描き始めました。
夢中で絵を描く彼の絵には、いろいろな色が使われていました。
色があると言うことは、心に希望があるということ。・・・それを見て嬉しかったです。

こう言う経験を持っている子がたくさんいます。
町で見かけた女の子は、胸の皮が広範囲に剥がされたような傷が有りました。
過酷な経験の中を生き抜いても、「生きてるだけでいいよ」と言うこの男の子の未来が、どのようになるのか?・・・
ただ何も出来ない私は安らかな未来でありますようにと願うばかりでした。
人は生まれた以上、どう生き抜くか?どういう人間に自分を成長させられるか?が、問われていると思います。



未熟で、力のない私は、戸惑い、傷ついて、悲しみに陥り、時には怒り、裏切った人を受け入れられずに、 でも、絵に描いたような幸せはないんだから、悲しみを経験した人の方が、本当の優しさと得られるから良かったと思ってみたり、・・・
自分の人生の中でしか物を見れないことへの不安を抱えながらも生きている自分を見つめるために、いろんな人と出会い、いろんな事を見て、もっと本物の人になりたいと切に願い、傷ついてもいいから、純粋に生き続けたいと思うけど、この子の世界は、生きるためにすべてがあるということ。
カンボジアの少女達のように貧しいからといって親に性の奴隷になるために売られる少女達が生きている世界も、過酷で、人は人を殺し、子供達の手を切りこんなに残虐な事もできる事をいつも心の奥に留めたいと思います。
自分のできる事を、自分の責任として、返して行きたいと改めて思いました。
自分の事だけに夢中になっている人たちの先には、人のもの奪うことだと言う事を忘れないでいたいと思いました。
子供達からエネルギーを貰い、力を貰った私です。


30日の夜は、みんなでチップスを食べに行きました。
はつえさん、トモさん、あかねちゃん、彼女達が日本から遠く離れたウガンダで、生活し、子供達のために図書館を存続し、奥地の村へ行き、新しい経験を子供達に与えているという事実は、私に勇気を与えてくれました。
日本では考えられないような日々の問題に立ち向かいながらも、戦っている彼女達がいる!と言うこと、それだけで勇気を貰います。
今、私が日本で仕事をし、小さなボランティア活動を展開し、ちっぽけな自分を見つめ続けながら、生きていることに、意味を見出すのなら、私も戦い続けていく事だと、今新たに思います。


純粋に生きる続けること、中途半端な妥協はせずに。
この夜、ビールでちょっと酔った私の「告白タイム」な~~んて言う提案で、皆で自分の事を告白しあいました。
私は日本では、時々宇宙人・自由人なんて言われますが、彼女達も日本の価値観では納まりきれないちょっと変わった人たちなんだと思うと認識し合いましたが、
これからも中途半端な妥協を自分にせず、きっと彼女たちもそれぞれの人生を生き抜いていくんだと感じました。

図書館が終わった後、地元の踊りをトモさんのお勧めのお陰で、見ることが出来ました。
ホイッスルとドラムと女性の声が鳴り響き、汗と陶酔が、人間の本能のルーツを見るようでした。エネルギーと生きる力に溢れていました。
ダンスの意味は求愛だったり、喜びだそうです。

 

トモさんが、「啓子さんに見せたい」と言ってくれた通り、その陶酔して踊る人たちを見ながら、見る機会があったこと、良かったと思いました。

彼女が提案してくれなかったらボランティア活動だけで終わってしまい、偏ったアフリカを見るだけになっていたと思います。
だから本当に感謝です。
たっぷりアフリカを味わいましたから。


翌日は、タンザニアへ行くまーちゃんとキトゥグムから首都のカンパラまで、バスで8時間くらいかけて帰りました。
カンパラで、アフリカ最後の夜だからと、ビクトリアゲストハウスの近く中華レストランまで、ボタボタ(バイク)で行きました。

まーちゃんがいたからバスでカンパラまで帰ってこれた怖がりで意気地なしの私です。
まーちゃんは23歳。
4月から中学校の教師になります。
教職に付く前に、こう言う経験をした先生は、きっと子供達に生の言葉を伝えられると思います。無事に帰ってくることを祈りながら、
ビクトリアハウスで分かれた私達です。
きっと彼女は素敵な先生になると思います。

こうやって終わったボランティア参加、今私にたくさんの問題提起をしています。
これからも自分に何ができるかと問い続けると思います。

 

Tuesday, January 18, 2011

12月30日 フィールドワーク



オクティという村のさらに奥地へ
今学校はクリスマスホリディ中のため、学校訪問の下準備として村の子供達を訪問。
お絵かき教室とフェイスペインティング&大人も子供も輪になってみんなで踊って遊んだ。




彼の名は『サバイバー』
LRA=神の抵抗軍により両腕をもがれ、首には深い傷が残る。


トモ

Wednesday, January 12, 2011

謹賀新年 fromウガンダ




あけましておめでとうございます。
ウガンダで正月を3回も迎えてしまい、こたつミカン、こたつに松前漬に冷えたビールが恋しいトモです。
いやモチもラーメンも食いたい。ピザもプッチンプリンも!

3ヵ月一緒に働いてくれたまー先生もタンザニアに寄ってから日本に帰国。
クリスマスから正月にかけて日本から来てくれたケイコさんも嵐のように去って行った。
楽しいイベントが終わり、なんだか人恋しくなっています。
そしてキトゥグムは超ドライシーズン突入です。
喉が痛い。夜部屋干しにしたバスタオルが朝乾いている!!!

トモ